つくったものの愛し方

森永博志さんといえば、荒俣宏さんを発掘し『帝都物語』を世に送り出した、大先輩の編集者です。


昔いた編集部で担当した連載ものの取材や特集では、国内外、いろんな場所へ一緒に同行させてもらって飛び回りました。そこから、企画の立て方から写真撮影のディレクション、そしてページネーションの組み立てなど、多くを学ぶことができました。こうこうこうだよ、というふうに教えてくれるわけじゃないんですが、立ち会ってるだけでものすごい勉強になる。


はじめて森永さんの仕事に立ち会ったときは、こういう人を天才と呼ぶんだな、と衝撃を受けたものでした。なにしろ、決定が早い。すべて直感。何百枚もある膨大な写真をバーッとならべて、そのなかから誌面に使う写真を、ものの5分くらいですべて選び出していく。これがどれだけスゴいことかというと、この写真選定のプロセスだけで、ページ数にもよりますが30〜40ページの特集で、下手すると3日とかかかります。そして、さらに驚かされるのが、誌面にしたとき、選んだ写真がすべてピタリとはまっていること。これはまさに、ビジュアル・マガジンを作る人がめざすべき境地です。


ちょっと話がずれますが、こういう仕事してない人でも、長めの旅行から帰って写真整理をするとき、けっこう時間かかるって人、多いんじゃないでしょうか。選択肢が多いとあれこれ迷って悩むのはしかたないですが、あんまり時系列とか場所にこだわらず、パッと視界に入った瞬間の自分のインスピレーションを信じて絵柄とか色味だけで選んでアルバムにしたりするのも、楽しいと思いますヨ。


さて、そんな森永さんと久しぶりに田町で会いました。
ぼくもすこしお手伝いした写真集が完成したので、受け取りに行ったのですが、とてつもなくうれしそうにしておられました。1キロくらいある重くて分厚い写真集なんですが、これを3冊は常時持ち歩いて、いろんな人に売ったり配ったりしてるということでした。曰く、


「いやあ、あのウォーホルだって自分で作った雑誌を抱えて本屋に頼み込んで置いてもらおうとしたわけじゃない? だから取次とか出版社に任せっきりじゃなくて、自分でも抱えて売っちゃえばいいんだ、と思って」


アンディ・ウォーホルが作った雑誌というのは、なかば伝説の雑誌と化している『Interview』のことです。あの世界的なポップアートの旗手だって、じつは自分が作った雑誌を後生大事に抱えて、NY中を歩き回ってアタマを下げて本屋に置いてもらったり人に買ってもらったりしてたわけです。


しかしネットで本買うこの時代に、元気に3キロ分の写真集をバッグにつめて街に飛び出し人に会うパワー。すごいな、と改めて思いました。21世紀、流通産業も発達して便利になりましたが、本来は、薬の行商人みたいに、自分が手がけたものは、自分で売るのが基本だったわけです。でもそのためには、作ったものに対する自信と愛情が不可欠です。自分で思い入れのない作品を他人に見せて買ってもらうパワーは、なかなか涌いてこないはずだから。あとはフットワークの軽さ。いくつになっても忘れないでもっていたいですネ。


あー楽しい一日だった!