秋フェチ

めっきり秋めいてきました。いちばん好きな季節の到来です。


おもてを歩いていると風が心地いいし、空や雲や星がクリアな感じに見えるのもお気に入りです。これから世界が冬に向かっていく、切ない雰囲気にも、ぐっときます。秋が好きと言うと、なら春も好きですか、とか訊かれたりしますが、春は別に好きでもキライでもないかなあ。花より団子。秋は春よりごはんがおいしいし。上海蟹も酒もこれからが本番ですヨ。


と、秋フェチ披露はこれぐらいにして。


たまっていた原稿も片づいたので、上野の国立近代美術館に『大琳派展』を観に行きました。琳派のことなんてよくわかってないんですが、2年くらい前に『若沖と江戸絵画展』を観に行ったときに、江戸の美術ってオモシロいんだなぁ、という印象があったので。


夕方4時に入館して、5時半までゆっくり眺めてきました。雑誌やテレビで特集されたりもして、人が多いと聞いてましたが、夕方だったのでそんなに混んでなくてよかったー。目玉としてよくメディアに出ている尾形光琳の「風神雷神図屏風」はもちろん迫力があってよかったんですが、おもしろいなあ、と思ったのは、本阿弥光悦宗達の合作シリーズでした。光悦の筆による和歌の色紙を、宗達が下絵を描いた屏風にベタベタ貼ってる、いわゆるコラボ作品がいくつかあって、ふたりの仲良しが楽しみながら勢いよく作ったんだろうな、というのが伝わってきて、観ててこっちまで楽しい気持ちになりました。こういうのにひとつ出会えるだけで、来てよかったな、と思えます。外に出ると日が落ちていて、オレンジ色の街灯が点った上野公園を抜けてひとり駅に向かうかんじも、なんだかいい。さすが秋ですネ。


アートといえば去年から今年にかけて、中国のアート・シーンが盛り上がって、五輪前には何回も取材にいきました。昨年のクリスティーズで、蔡国強の作品が中国アート史上最高額となる10億円超で落札され、その前に4890万円のハンマープライスで騒がれてた村上隆はいったいなんだったんだ、という声もありましたが、そんな中国アートの中心地が首都・北京です。オリンピックイヤーだったこの街には今、50年代の軍需工場跡地にギャラリーやアトリエがひしめく〈798藝術区〉を筆頭に、新しいカルチャーの震源地となるアートエリアが続々と誕生中です。798はもう有名になりすぎて観光地化してますが、こういう芸術区が、インディーズで芸術活動を行っている若いアーティストが集まる場所を中心に、自然発生的にどんどん増えています。故宮万里の長城も北京ダックもいいけれど、旅行者が気軽に遊びに行って楽しめるこういう場所は、中国にとっては得がたい財産なんじゃないでしょうか。


さて、こういう活気のある国には、やっぱりいい書籍がたくさん生まれています。北京に行くと必ず立ち寄る本屋さん〈Time Zone8〉にいくと、もうすんごいクオリティの高い雑誌や本がひしめいていて、ついつい大人買いしてしまいます。いちばんインパクトがあったのが、表紙と裏表紙が石でできた本。異常に重たいし、どんだけアバンギャルドなんだよと……。もちろん、ただ見た目がハデなだけじゃなくて、デザインもすごくいいです。いつか藤本やすしさんにこれらの雑誌をみせたら、「こりゃ(中国への)デザイン進出はもうムリだな」と驚いてました。それくらいレベルが高いです。カッコイイなあ、と思える雑誌がいっぱい。とりわけ『芸術与設計』と『生活』と『VISION』の3誌は群を抜いています。『VISION』なんか編集部に国際電話してムリヤリ定期購読契約してしまった……。編集長に「ファンです」って言ったらすごく喜んでくれて「いつでも編集部に遊びに来てヨ」とのこと。この気どりのないかんじもいいなー。電話やメールじゃまどろっこしくて、すぐ会いに行きたくなってしまう性格なので、こういう対応はうれしい。


なんだか日本にいると、中国の報道はメラミンとか餃子ばっかりですが、いい人もいっぱいいるし、よいものもちゃんと生まれてるんですヨ。近いうちに中国を旅する予定のある方は、ぜひとも本屋さんをのぞいてみてほしいですー。

砂の惑星デューン

中国は内モンゴル・フフホト市から車で約4時間。総面積約130万平方キロ、世界で4番目の大きさを誇るゴビ砂漠にやって来ました。いにしえのシルクロード交易でのんびりとラクダの商隊が行き交ったこの砂漠も、いまや一大観光スポット。国内外から押し寄せる観光客は、一年で200万人を数えるそうです。










はいウソです、スイマセン。鳥取砂丘です。
なんだか中国人っぽい人しか写ってませんが、おそらくみなさん日本人です。
日本の生態系を完全無視した騎乗生物が闊歩しておりますが、確実に鳥取県です。
取材2日目の合間にエアポケットみたいな時間ができたので、砂丘へ行ってみました。鳥取県砂丘もはじめて。ウワーイ。


昨夜、取材を終えて鳥取市内の居酒屋に行きました。カメラマンSさんと広告代理店Mさんと3人で地元の銘酒〈強力〉と鳥取港から水揚げされたばかりの魚介類を堪能。いやー、刺身も塩焼きもかなり新鮮でおいしかったなー。すっきりした日本酒も魚とよく合うんです。しかしその後、ウーロン茶しか飲んでないくせに延々と子供自慢をやめないMさん……ある程度はガマンしてふんふんと聞いてたんですが、一向にやめる気配がないので置きざりの刑に処し、Sさんとドイツビールバーに移動です。独身相手に子供自慢ってどういうことだよ、と息巻いてピルスナーをぐびぐび。Sさんのハードコアな南米撮影旅行の話なんか聞きつつもう一杯。ドイツ人のマスターが「コレおいしいネ」と勧めてくるビールもいただきます。しまいにはとなりのカウンターに座ってたヤクザと情婦みたいなふたりと韓国語の発音大会。どうやってホテルに戻ったのかまったく記憶にございません。


で、完全に二日酔いなので、砂漠の風に吹かれて酒を抜こうという作戦。


それにしても人だらけ。お年寄りがダントツで多いです。砂上デートを楽しむカップルの姿もちらほら。砂漠にヒール履いてきてる女傑もけっこういて、大丈夫なのかと心配になりましたが、ヒール部分を砂に突き刺しながら、ぺたんこ靴のように歩くという奇策で乗り切っておられました。そして裸足になる人も多数。ラクダのフンとか踏んづけちゃいそうで他人事ながらコワイ。


それでも、けっこうとぼとぼ砂の上をを歩いてると、いつの間にかふだんは考えないようなことにまで思考が及んで、なかなか哲学的な時間がすごせましたヨ。んー、こういう時間がもてるのも旅の醍醐味ですね。世界のナカータみたいに、ぼくもそろそろ自分探しの旅に出たいなあ。


次はもうちょっとゆっくり来たいですー。


砂丘ひとくち情報

砂丘の駐車場にある限りなく昭和くさいおみやげ店。名産の梨ソフトクリーム(250円)がおいしいよ!

つくったものの愛し方

森永博志さんといえば、荒俣宏さんを発掘し『帝都物語』を世に送り出した、大先輩の編集者です。


昔いた編集部で担当した連載ものの取材や特集では、国内外、いろんな場所へ一緒に同行させてもらって飛び回りました。そこから、企画の立て方から写真撮影のディレクション、そしてページネーションの組み立てなど、多くを学ぶことができました。こうこうこうだよ、というふうに教えてくれるわけじゃないんですが、立ち会ってるだけでものすごい勉強になる。


はじめて森永さんの仕事に立ち会ったときは、こういう人を天才と呼ぶんだな、と衝撃を受けたものでした。なにしろ、決定が早い。すべて直感。何百枚もある膨大な写真をバーッとならべて、そのなかから誌面に使う写真を、ものの5分くらいですべて選び出していく。これがどれだけスゴいことかというと、この写真選定のプロセスだけで、ページ数にもよりますが30〜40ページの特集で、下手すると3日とかかかります。そして、さらに驚かされるのが、誌面にしたとき、選んだ写真がすべてピタリとはまっていること。これはまさに、ビジュアル・マガジンを作る人がめざすべき境地です。


ちょっと話がずれますが、こういう仕事してない人でも、長めの旅行から帰って写真整理をするとき、けっこう時間かかるって人、多いんじゃないでしょうか。選択肢が多いとあれこれ迷って悩むのはしかたないですが、あんまり時系列とか場所にこだわらず、パッと視界に入った瞬間の自分のインスピレーションを信じて絵柄とか色味だけで選んでアルバムにしたりするのも、楽しいと思いますヨ。


さて、そんな森永さんと久しぶりに田町で会いました。
ぼくもすこしお手伝いした写真集が完成したので、受け取りに行ったのですが、とてつもなくうれしそうにしておられました。1キロくらいある重くて分厚い写真集なんですが、これを3冊は常時持ち歩いて、いろんな人に売ったり配ったりしてるということでした。曰く、


「いやあ、あのウォーホルだって自分で作った雑誌を抱えて本屋に頼み込んで置いてもらおうとしたわけじゃない? だから取次とか出版社に任せっきりじゃなくて、自分でも抱えて売っちゃえばいいんだ、と思って」


アンディ・ウォーホルが作った雑誌というのは、なかば伝説の雑誌と化している『Interview』のことです。あの世界的なポップアートの旗手だって、じつは自分が作った雑誌を後生大事に抱えて、NY中を歩き回ってアタマを下げて本屋に置いてもらったり人に買ってもらったりしてたわけです。


しかしネットで本買うこの時代に、元気に3キロ分の写真集をバッグにつめて街に飛び出し人に会うパワー。すごいな、と改めて思いました。21世紀、流通産業も発達して便利になりましたが、本来は、薬の行商人みたいに、自分が手がけたものは、自分で売るのが基本だったわけです。でもそのためには、作ったものに対する自信と愛情が不可欠です。自分で思い入れのない作品を他人に見せて買ってもらうパワーは、なかなか涌いてこないはずだから。あとはフットワークの軽さ。いくつになっても忘れないでもっていたいですネ。


あー楽しい一日だった!

スターシップ・トゥルーパーズ

毎年、この季節になると思い出すエピソードがあります。
これは、3年ほど前に勃発した小さな戦争に巻き込まれた、ある兵士のお話。


以下、壊滅した部隊の隊長による通信日誌ふう。


○月○日
我が家がムシに占領されつつある。
7月頃から、わけのわからない小さな羽虫がどこからともなく現れ、部屋の中を我がもの顔で飛びまわりはじめたのだ。いくらたたきつぶしても、どこからかまた同じ種類の別のムシが現れ、なに食わぬ顔して飛びまわる。最初は、1日に1匹程度だったので、さして気にもしていなかった。きっと外から舞い込んだ羽虫だろう、などと軽く考えていた。しかし夏も盛りを過ぎ、9月になると、ムシたちの出現率が大幅にアップし、はじめて目撃した時にくらべて明らかに巨大になりはじめた。そろそろ手を打った方がよさそうだ。


○月○日
不安になって同僚に相談してみた。同じような状況を体験した者が一人見つかった。この人曰く「部屋のどこかにきっと温床ができているはず。それを叩かないとムシは無限に出てくる」ということだった。さらに「見つけたら見つけたで、かなりキモイですよ。私の場合、クローゼットの床に敷いてあったじゅうたんが温床だったんですが、卵やら脱皮した皮やらウジ虫みたいな幼虫やらでいっぱいでした」とおぞましいことを言う。次の週末、おそるおそるクローゼットを開け、奥の方まで探索したが、それらしきものは見つからなかった。一体どこから現れるのか、見当もつかない。その日は、めぼしい場所を掃除して、なんとなく満足して終わった。その脇を、ムシたちは悠々と飛び回っていた。


○月○日
翌週、新種が現れた。
夕方、なにげなくトイレで用を足し、水を流した瞬間、そいつは視界の隅に一瞬だけ現れた。ポピュラーだが、いてはならないはずの生物だった。焦げ茶色のそいつは、カサカサッとすばしっこく物陰に隠れた。だが、ぼくはそれ以上に素早かった。かねてからムシ対策のために用意していたキンチョールを、ヤツが隠れた方向に思い切り噴射した。そいつはたまらず別の障害物の後ろに移動する。しかしもう遅い。立て続けにキンチョール攻撃を行い、トイレを毒霧で満たしてから、ドアを閉めた。このままヤツを追いかけ回して始末する手もあったが、かつて高速飛行による奇襲を浴び、香港の離島でサンダルほどもある巨大ゴキ5〜6匹に襲われた経験がアタマをよぎる。ぼくにその勇気はなかった。しかたなく、ドアの隙間にも万遍なく毒を噴霧しておく。アウシュビッツから脱走しようとする不届き者を待ち受ける、恐ろしいブービートラップである。そのトラップが、自分もトイレを使えなくなるという諸刃の剣だったことに気づいたのは、夜も更けてからだった……。


○月○日
翌朝、そいつは予想通り、トイレの前でのたうち回っていた。いつ、なんで買ったのか自分でもよくわからない『山と渓谷』誌でとどめを刺す。2日にわたる攻防に勝利を収め、鼻歌まじりに雑誌を処理していると、ふと台所脇の棚の下のビニール袋に気づいた。なんだっけ、これ? 茶色い物体が白いビニール袋から透けて見える。しかも、なんだか甘い異臭もする。袋の口には、あの見慣れた羽虫が群れているのが見えた。


こ、これは……!
まちがいない、温床だ……やつらの前線基地をとうとう発見……!!!!


声にもならないとはこのこと。自分のうめき声だけが辺りにこだまする。


記憶が一気によみがえる。


そうだ、これは6月頃買ったが結局使わず、捨てよう捨てようと思いながら、なんとなく忘れてほったらかしていたタマネギだ……。もはやタマネギの原型はとどめておらず、怪しい半液状の物体になり果てている。こりゃゴキも出るはずだ。すぐさまビニール袋をひっつかむと、近くのコンビニに行って捨ててきた。ごめんなさい、アッ○ルマートさん。


こうして、ひと夏続いたムシたちとの戦いは終わった。
というか、ちゃんとゴミ捨てないと、バイオハザードを招くことがよくわかった。


みなさんも、夏の忘れものにはくれぐれもお気をつけください。

I ♥ Magazine

入稿打合せで白石良一さんの事務所にお邪魔してきました。


白石さんがデザインしている月刊『PLAYBOY』も残り2号で休刊。

創刊以来がんばってきたプレイボーイ・バニー


残念なことです。プレイメイトはともかく、硬派と軟派入り交じる今どきめずらしく知的マッチョな雑誌で、独特の読み応えがありました。とくに名物の“PLAYBOY INTERVIEW”は、ホントいつも力強くて気合い入ってました。ちなみに最新号は大竹伸朗。過去にはジョン・レノン夫妻や村上春樹エミール・クストリッツァなど、世界的な大物も多数登場。ふだん断る人でも『PLAYBOY』なら、とOKしてくれる人も多かったとか。それだけクオリティの高いインタビューだったわけです。


それにしても、雑誌が次々つぶれていってますね。鳴り物入りで7月に創刊されたばかりの『Diaries』(アクセス・パブリッシング)も3号で終わりだそうです……南無八幡。

しかし、よくよく考えてみれば雑誌なんて生活に必要不可欠なものでもないし、このロハスな時代に大量にパルプも使うし、淘汰されていく傾向はしかたないことなんでしょう。


と、アタマではわかってるんですが、一方で、たばことかコーヒーとか映画とか純喫茶とか酒とかレコードとかゲームとかデザインとか雑誌とか、生活にストレートに響かないものを認めて大切に守ることができない国ってのは、けっこう恥ずかしいよなあ、とも思っちゃいます。一見ムダなものが産み出してきたカルチャーがいったいどれだけ自分のこころのスペースをひろげて豊かにしてくれたことか。どうでもよくみえる人生をどれだけ可能性にみちたものとして提示してくれたことでしょうか。ムダなくシステマチックにさらさらとした世界って、割につまんなさそうですけどネ。


それでも、やっぱり雑誌をつくることはおもしろいです。いい雑誌をつくれば、きっとお金を払って買ってくれる人がいると信じています。それができてないのは、大きな時勢はあるにしても、出版社やクリエイターの怠慢や力不足も多々あるんだと思います。


まあ、そういう感じで。ロハスなふりしてがんばろうっと。

IT系ラブ・セッション

ちょっと前の話になるんですが、映画を観に行って、忘れられない出来事にぶちあたったことがあります。あまりにも印象的だったので、ここに記録しておきます。


場所は六本木ヒルズ。その映画はコメディで、ずいぶん楽しみにしてたんですが、感想は「?」。微妙でした。笑いどころが曖昧なのと、中途半端にシリアスなせいで、終始半笑いを顔に貼り付けてる感じで、非常にストレスフルでした。


しかし、映画よりストレスフルだったのは、となりの席にいたカップルです。男はシャツのボタン2つも3つも外したちょい不良オヤジふう、彼女は愛されヘアーとモテワンピ。IT社長とその愛人、と勝手に命名しました。この2人がまあ、異常なまでによく笑うんですね。ウルサイ上に、腕を絡めてイチャイチャしている。正直、映画のストーリーなんかより、この2人の馴れ初めのほうがよっぽど気になったりするわけです。いや、べつに映画を観て笑うのはいいんです。腕を絡めるのも自由です。じゃあ問題は何かというと、このカップル、全然どーでもいい場面で、どう考えても笑うとこじゃない場面で必ず爆笑するんです。これがなによりも気になってしょうがない。たぶん周囲のだれもが、このふたりに映画鑑賞のリズムを乱されたはずです。


さて、これだけなら大した話じゃないんですが、ここから話は意外な方向に進みます。


一時間もたったころでしょうか。ぼくは、社長の笑いが「付き合い笑い」であることに気づきました。注意深く聞いていると、男は女が笑い始めてから、ワンテンポ遅れて笑い出している。しかし、付き合い笑いにしては笑い声がでかいので、目立つのは男のほうです。理解不能な行動ですが、見方によっては、まるで彼女の恥を自分が一身に引き受けているようにも思えます。敵を欺くにはまず味方から。バカを守るためにあえて自分が大バカになる……そうです、さすがIT社長(かどうか知らんけど)、じつは画期的LOVE忍術を駆使していたわけです。カッコイイ!


ふだんはきっと冷静沈着なんであろう社長を狂わせた秘書のマル秘テク、および女にゾッコンとはいえプライドをかなぐりすてて滅私奉公的ガハハ笑いをかぶせる社長の蛮勇は、スレスレで評価します。こういう周りのメイワクそうな視線を完全無視して常時フルスロットル、ピリオドの向こう側をめざして突っ走る人、ぼくは決してキライじゃないです。結局、世の中をおもしろくするのは、こういうむきだしのパワーのはずです。だがしかし、それにしてもやっぱ実際問題、自分の身近にこられるとエライ迷惑でした。


●column「ハイブリッド中華」
この映画の帰り、東中野の〈ジャスミン〉という中華料理屋に寄りました。ここは、北京の人がやってる店ですが、決して本場の味だけをウリにしているわけじゃありません。日本人の舌に合わせて発展してきた昔ながらの中華、つまり酢豚や麻婆豆腐なんていうおなじみの料理がメニューにならんでいます。しかも、どれもきちんとおいしい。作ってる人の人柄も透けて見えてくるような、あたたかみのある中華です。本場の味もいいけど、日本的なハイブリッド中華が抜群な店が近くにあるってのは、かなりうれしいです。

ヒーローの復活と死

ダークナイト』観てきました。
今年観た映画では今のところベストです。



バットマン ビギンズ』の続編で、いわゆるオトナのためのアメコミ・シリーズ。いやー、子供向けの原作を、これほどまでにアダルトに仕上げるクリストファー・ノーラン、すんごいパワーです。観てるだけでもつかれるんだから、あれを作品としてまとめ上げた人たちは、とんでもない精神力が必要だったんじゃないかと思います。


シンプルながら観客を飽きさせないストーリー展開はもちろん、なにより度肝を抜かれたのが、今作から満を持して登場したバットマンの宿敵・ジョーカー。これがとにかくカッコイイ。怪演するのは『ブロークバック・マウンテン』で注目されたヒース・レジャージャック・ニコルソンをはじめ、これまでいろんな人が演じてきたジョーカーですが、悪者ながらいつもどことなくコミカルで憎めない部分が残されていました。


が、今回はちょっと違います。コミカルな部分が、笑いにつながらず、すべてサイコでワイルドで危険な香りに直結しているのです。鳥肌立つほどコワイです。んー、あらためてヒース・レジャーはすばらしい俳優だと思いました。が、残念なことに今年2008年1月に他界。死因はOver Doseだとか。享年28歳。ヒースがあんなにぶっ飛んだジョーカーを演じられたのも、もしかしたら荒れた私生活や精神状態あってこそ、だったのかも知れません。


カリスマ不在の世界にあって、ステレオタイプなイメージの量産が繰り返されていた悪役を、現代にぴったりのダークサイド・ヒーローとして蘇らせ、自らはそのまま還らぬ人となったヒース・レジャーアメリカの映画界は、永遠に人々の記憶に残る強烈なヒールキャラを得たと同時に、本当の意味でのスーパーヒーローをひとり失ったのかもしれません。